中間考査の日に、ふと立ち止まって考えた。「テストで評価する」という当たり前の行為が、探究学習が目指していることと真逆を向いているとしたら? 午後は学校HPの刷新打ち合わせ。「伝えたいこと」と「届くこと」は、実は全然違う——。心理学の知見を交えながら、評価と発信の本質を問い直した一日の記録。
今日は中間考査。 学校全体がシャキッと引き締まったような空気になる、あの独特の雰囲気が漂っていた。
テストは「敵」ではないけれど
先生たちもこの時期は評価モードになる。それは当然のことだ。でも、ふと立ち止まって考えてみる。
テストを「点数をつけるもの」「評価するもの」という側面だけで捉えると、それは総合的な探究の時間を通して目指していることと、ほぼ真逆の方向を向いてしまう。
この矛盾、実は心理学の世界ではとっくに証明されている。
心理学者のエドワード・デシとマーク・レッパーが1971年に行った実験がある。内発的動機による行為に対して外発的動機づけが加わることで、モチベーションが外発的なものに変化してしまったり、意欲の低下につながってしまったりすることが実証された。これを「アンダーマイニング効果」という。
もっと直接的にいえば、授業後にテストをすると予告するだけで、内発的動機づけが抑制されたというデータまである(鹿毛, 1993)。

身近な例で言うと、こういうことだ。
子どもの頃、絵を描くのが好きで、毎日夢中で描いていた子がいたとする。ある日から「上手く描けたらシールあげるね」と言われ始めた。最初はうれしい。でも気づけば、シールをもらうために描くようになっていた。そしてシールがなくなった日、あれほど好きだったはずの絵を描かなくなってしまった——。これがアンダーマイニング効果の代表的な例だ。「最初から外発的報酬を期待させる」ことが内発的動機づけを削いでしまう。
テストも同じ構造を持っている。「点数をとらなければ」という意識が生まれた途端、人はそこに向かって最適化しはじめる。テスト範囲だけを見る。要領よく覚える。それ自体は悪いことではないけれど、外発的動機づけは、その目的がなくなった時に活動への意欲が低下する可能性がある。
一方で、総合的な探究の時間が育もうとしているのは、知識を得ること自体が楽しい、問題を解決することに喜びを感じるような内発的な動機づけ、つまり「面白いからやる」「わからないから知りたい」という純粋な探究心だ。
この二つが同じ学校の中で同時に走っている。それが先生たちを苦しめている原因の一つでもあるし、探究の時間が「見えにくい」原因でもある。
では、どうすればいいか
「じゃあテストをなくせばいい?」というわけでは、もちろんない。提案したいのは、評価の「形」を少し変えてみることだ。
① 点数ではなく「変化」を見る
たとえば料理人を評価するとき、一皿の料理の出来映えだけで判断するのか、それとも「半年前と比べてどう腕が上がったか」で判断するのか。探究の評価は、後者に近い。
「この子は今日何点取ったか」ではなく「この子は最初と比べて、どんな問いを立てられるようになったか」を見る。それだけで、先生の視点も、生徒の取り組み方も、少しずつ変わってくる。
② 「なぜそう考えたか」を聞く場をつくる
テストは基本的に「答え」を問う。でも探究では「プロセス」が財産だ。たとえ結論が間違っていても、どうやってその仮説にたどり着いたかの方が、ずっと価値がある。
ふりかえりシートでも、口頭でも、「なぜそう考えたの?」と一言聞く場をつくるだけで、評価の視野はぐっと広がる。
③ 「先生が評価する」だけじゃなくていい
自分で自分を評価する(自己評価)、友達同士で評価しあう(相互評価)も立派な学びの一部だ。「他者の目線を借りて自分を見る」という経験は、社会に出てからも絶対に役に立つ。
評価の形を変えることは、先生の仕事を増やすことではなく、探究の時間の「見え方」を変える一番の近道だと思っている。
「伝える」は、「届く」と同じではない
午後は、玉野高校のHP刷新に向けた打ち合わせ。
「玉野高校の強みって何だろうか」という問いを立てると、真っ先に頭に浮かぶのは総合的な探究の時間のこと。でも、それを強みとして語るなら、「他とどう違うのか」を言語化しなければ意味がない。
一個一個、可視化していく作業が必要だ。
そしてもう一つ、大事なことに気づいた。
情報発信というのは、こちらから情報を出しているように見えて、本当に機能するかどうかは「相手に届くかどうか」にかかっている。どんなに熱のこもったメッセージも、受け取る側の文脈に合っていなければ、ただの自己満足になってしまう。
これも心理学に面白いモデルがある。「ジョハリの窓」だ。

自己分析を通して「自分から見た自分」と「他者から見た自分」を知ることで、他者との円滑なコミュニケーションや関係の築き方を知ることができるという心理学モデルで、他者の意見を聞くことで「他者は自分をどう捉えているか」という気づきを得られ、知らなかった自分の短所や長所を知ることで自己理解が深まるのだという。
つまり、他者を知ろうとすることが、自分を知ることに直結する。
学校のHP刷新も、同じ構造だと思う。「うちはこういう学校です」と発信することと、「来てほしい人にとって何が刺さるか」を考えることは、全然違う作業だ。後者を真剣に考えると、必然的に「私たちは何者か」「何が本当の強みなのか」を問い直すことになる。
学校ブランディングは、学校の個性や強みを最大限に引き出し、他校との差別化を図る戦略的なアプローチだとよく言われる。でも、その前提にあるのは「相手を深く理解する」という姿勢だ。
他者理解を通して、自己理解を深める。
これって、探究学習が目指していることとも、つながっている気がしてならない。
今日の一言でいうと
テストの季節に、「評価とは何か」を問う。HPを作り直しながら、「発信とは何か」を問う。どちらも、問いを立て続けることで、少しずつ本質が見えてくる。
それが、探究ということかもしれない。
著者
西田井祐也|社会教育士
