特定非営利活動法人 玉野SDGsみらいづくりセンター
日記

【コーディネーター日記】玉野高校。目的はなに?

2026年6月23日西田井祐也|社会教育士3分で読めます

地域学が、目的になっていないか

今日、玉野高校でエジソン・エリア探究について話し合った。テーマは「持続可能な取り組みにするには」。
話している途中で、ふと小さな違和感が生まれた。

地域学って、いつから「目的」になったんだろう。
うまく言葉にできない、この感覚

リサーチをする。地域の課題を調べる。スライドにまとめる。発表する。
この一連の流れ自体は、もちろん必要なステップだ。否定するつもりはない。

でも、話し合いをしているうちに、なんとなく感じた。地域学を学ぶこと自体が、いつの間にかゴールになってないか。地域について詳しくなること、地域の課題を整理できるようになること——それ自体が評価の対象になっていて、その先に何があるのかが、ぼやけている気がした。

本当は、地域学も探究の手段の一つでしかないはずだ。
なのに、手段がいつの間にか、目的の顔をして座っている。

正直、この違和感に、まだうまく言葉がついていない。
なぜ、こうなるのか

たぶん、誰も悪気があってこうしたわけじゃない。

地域学は、教えやすい。評価しやすい。
リサーチの過程も、スライドの完成度も、目に見える「進捗」として測れる。
だから、自然とそこに重心が乗っていく。

一方で、「子どもたちが何にワクワクしたか」「誰かの役に立てたという実感を持てたか」は、測りにくい。
だから、つい後回しになる。

これは、商工高校の地域交流会を進める中でも、似たような感覚を持ったことがある。
「形にしやすいもの」と、「本当に大事なもの」が、必ずしも一致しない。

測りやすい方に、つい引っ張られていく。
今日は、答えを出さない

普段なら、この違和感を、なんとか整理して、きれいな結論に落とし込もうとする。
自己効力感とか、本物の観客とか、いろんな言葉を当てはめて、「こういうことだったんだ」と腑に落ちる形にしたくなる。

でも、今日はやめておく。

地域学が目的化している、というこのモヤモヤは、まだ自分の中で解けていない。
解けていないまま、ここに置いておく。

たぶん、こういう違和感を急いで消化しないことも、コーディネーターの仕事の一部なんだと思う。

今日、玉野高校で話していて、答えのない違和感に気づいた。
地域学が、目的になっていないか。

まだわからない。
でも、この問いを持っていることだけは、ちゃんと覚えておきたい。

西

西田井祐也|社会教育士